チョコレートの魅力に取り憑かれ、カカオ栽培をやっています。
チョコレートが好き過ぎて、フィリピンでカカオを栽培してチョコレートを作ってます。
高山 泰樹(たかやま たいじゅ)と申します。
チョコレートは小さい頃から好きで、チョコボールやブラックサンダー、コアラのマーチなどをよく食べてました。そんな私が、本来のカカオの美味しさを知ったのは23歳の時、Baen to barとの出会いました。
初めてのBaen to barのお店がミニマルと言うチョコレート専門店で、コロンビアのアルアコ産チョコレートを食べた時、口に広がるフルーティの香りと衝撃と感動を受けました。今まで食べてたチョコレートとは全く違うジャンルで完全に心を奪われてしまいました。
それからすぐに、勤めていた会社を辞めてカカオ探しの旅に行きました。
まず、東南アジアを巡りました理由は私は英語が少しだけ話せる程度なので、アフリカや南米より通じると思っていました。
なんせ、アテとかツテのないですし、熱意と情熱だけで行く計画性が全くない旅でした。
とりあえず、インターネットと地元の人に聞き込みをして情報を集めることにしました。
インドネシアからスタートしてマレーシア、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムと巡りました。
まず、カカオが栽培されている地域は田舎が多いので、バイクをレンタルして各地を巡ることにしました。田舎に行くにつれ現地語しか通じない、農家さんに会っても英語が通じない、ジェスチャーや写真を見せてなんとかコミュニケーションをとってカカオを買ったり、カカオについて学ぶことができました。
もちろん順調に行くわけではありませんでした。門前払いは当たり前で、民家に聞き込みをする為に挨拶したら、ナタを持ったおばあちゃんに追いかけられたり、周りに何にもない道でバイクのタイヤがパンクしてヒッチハイクをして街まで送ってもらったりと困難がたくさんありました。そんな中でもカカオへの情熱は収まりませんでした。
帰国してからは購入したりもらったカカオ豆をチョコレートにしてみました。
チョコレートにした際にそれぞれ地域や国によって風味や味が全く違い、それがまた面白く、たくさんの可能性が広がっている気がしました。
このカカオ本来の香りをたくさんの人に知ってもらいたくて、自分のカカオを育てたくなっていきました。
カカオ旅から帰国してから半年後にある出会いがありました。
私の地元である山梨県の清里という田舎町でフィリピンで孤児院を運営している澤村さんとの出会いでした。
澤村さんは孤児院の副院長でもありつつ、似顔絵描きもしており、夏になると、毎年清里に似顔絵描きに来ていました。澤村さんとお話しした際、「孤児院の周りにもカカオの木成っててるよ。」と教えていただき、早速フィリピンの孤児院に遊びに行く事にしました。
孤児院は「House of joy」という名前でフィリピン、ミンダナオ島の南東にあります。
ハウスオブジョイはとてもゆる〜い感じで子供たちもみんな元気に楽しそうに生活をしていました。
孤児院の子供たちはカカオからチョコレートになるのも作ったことも無いそうでした。
そこで、カカオ豆からチョコレートフォンデュを作ってみんなと一緒に食べました。
みんな美味しそうに全部舐めて食べてしまいました。
そんな感じで、子供達と遊んで滞在してたところ、ハウスオブジョイの現地スタッフの親戚にカカオ栽培をやっている方がいるから、会ってみないかと言ってくれたので、早速会いに行くことになりました。カカオ農家のジャニーさんは10年前からカカオ栽培をやっており、農協でも働いている方でした。
農園は1ヘクタールほどに250本ほどカカオが植えてました。綺麗に整備はされておらず、雑草やカカオの枝が伸びており、ちゃんとは管理していない感じでした。
ジャニーさんはとても優しく色々なことを話してくれました。カカオを栽培してもそんなに稼げないから、カカオを栽培からココナッツやバナナにみんな植え替えている。と言ってました。それでは勿体無いし、まだまだフィリピン産のカカオには魅力が隠れてしまってると思い、一緒にカカオ栽培をしたい。と伝えたところ、「いいよ」と1つ返事で帰ってきました。
そうして、ジャニーさんと10年契約パートナーとして、やって行くことになりました。
カカオの発酵や乾燥に必要な施設への投資や技術協力をしながら、高品質のカカオ豆を作っていき、いつかハウスオブジョイ孤児院の子供達がカカオ農園やチョコレートで雇用ができるようにしていきたいですし、フィリピンのカカオが美味しいと世界中に人々に伝えていければと思ってます。
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